修験者が十和田へ持ち込んだのは熊野の神だけではありませんでした。当時すでに発達を遂げていた巨大霊場熊野の構造をそっくりそのまま、十和田湖を中心とした山中に作り上げたのです。
11 世紀以降、中央では平安仏教が民衆へも浸透し、中でも本宮・新宮・那智からなる熊野三山が大きな信仰を集め、いわゆる「熊野詣で」が最盛期を迎えます。この聖地巡礼・霊場参詣の特徴は険しい山を越えたのちに神と対面する「難行苦行の旅」である事でした。難行苦行を乗り越えてこそ、人々は神仏とつながり、解脱の境地に達するという思想があったのです。
熊野の特徴はもう一つ、熊野古道沿いに設けられた多くの宗教施設「九十九王子」です。それは参詣者の守護と道標であるとともに、神域の内部に入っていく「結界」の意味がありました。
難行苦行を積みつつ宗教施設を巡礼し、禊ぎを祓い、結界を越えて信仰心を深める事で大願成就を確かなものにしたのです。
旧十和田参詣道の五戸道に照らし合わせてみましょう。
十和田参詣に向かう最後の集落から登る月日山(日月神社)は熊野古道では「初めて御山の内に入る」滝尻王子にあたります。
鳥居長根平1にはかつて鳥居があり八甲田~十和田湖外輪山~戸来岳と霊山十和田の全景を一望する場所で、ここは熊野でいう「聖域に入る祈りの門」発心門王子にあたります。
ほかにも古道上に結界となる御神燈2や遥拝所3がたくさん作られているのが確認できます。 十和田開山を担った熊野修験は険しい山と大森林を越えて到達する霊山十和田の世界と熊野を重ね合わせ、北奥に「北の熊野」を誕生させたのです。