十和田湖が霊山として開山されたのは平安時代末期、平泉の奥州藤原氏が隆盛を誇った時代。開山の拠点となったのは五戸七崎1にあった大寺院、旧永福寺2です。12世紀半ば、藤原基衡の時代に平泉に取り入れられた熊野修験が北へ進出するなかで、永福寺に属した熊野系の修験者によって十和田開山が行われました。
熊野に限らず、修験者が修行の行場として重要視した場所は、
①身の穢れを払う滝
②霊力を身につける岩場
③母胎から生まれ変わる洞窟
などでした。
日本の代表的な山岳霊場である大峯山や白山・立山などと同じく、十和田湖にも多くの行場の跡が残されています。巨岩が連なる中山半島と中湖、多くの滝を抱く奥入瀬渓流はまさに絶好の行場であり、流行りの言葉でいえば「修験映え」をする、霊山聖地とされるの にふさわしい場所だったのです。